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ふじもりグループの歴史は明治の中ごろに遡る。
 明治32年、長野県から渡道した藤森熊作は十勝川の渡船場で木材商を営むことになる。北海道に新天地を求め開拓者が多く訪れた時代だ。しかし、運悪くその年、十勝川は歴史的な大洪水にみまわれることになった。熊作の作業場は破壊され、集積していた原木と製材は流出してしまった。熊作と共に渡道していた父善兵衛は帰信し、熊作夫妻は母親とともに十勝に留まり、新たな事業を模索するのだ。
 そして、長野時代から親しみのあった養蚕業に関わりつつ、明治38年に開業されることになる帯広駅に強い関心を持つことになった。ここに、待合所経営の許可を申請し、後に所内で飲食物の販売を始めるのである。当初、乗降客も少なかった駅だが、明治40年旭川-富良野-帯広の十勝線が開通すると利用客は急増。駅前も活気を増す中で熊作の事業は急成長を始めたのである。これが、現在の「ふじもり」の事業のスタートであった。やがて寿司その他の献立が充実し、紆余曲折を経ながら、やがて「藤森待合所」は「藤森食堂と改められ(昭和5年)本格的な外食事業へと突入していった。
 現在は、帯広駅前の老舗レストランとして帯広市民に親しまれる「ふじもり」だが、昭和53年に3階建てのビルにかわり、グループの中核として健全だ。とはいえ、事業拡大の新たな展開も求められた。そこで、時代に即した事業として乗り出したのがカレーショップ(昭和43年1号店)とファミリーレストラン(昭和49年1号店)への進出であった。帯広が十勝の中心都市として発展し、十勝に新しい文化が次々と押し寄せて来る時代だ。
 帯広市民に新たな食文化を提供する事業として大きな期待を寄せられた2つの事業はやがて、収益性が高く、独自性を打ち出しやすいカレーショップに集約され帯広及び周辺市民の支持を確実に得るようになった。
 3代目前社長の藤森照雄は昭和58年に帯広飲食喫茶組合7代目組合長に就任した他、数々の役職を兼任(昭和9年に全ての公職から離れる)。平成4年には永年にわたって帯広市の産業振興に寄与したとして帯広市制90周年市産業特別功労賞の表彰を受けた。まさに、十勝の歴史とともに歩んだ「ふじもり」なのである。現在は4代目の藤森裕康が平成18年に代表取締役社長に就任し、事業推進の牽引車役となっており、さらに、十勝圏外も視野に入れた事業展開を目指している。